7月7日は七夕で年に一度、織姫と彦星が会える日として有名ですよね。
小さい頃に、願いごとを短冊に書いたり、笹の葉に飾りつけをしたりした方も多いと思います。
でも七夕物語のあらすじについてなんとなくしか覚えてないし、小学生の子どもに聞かれたらなんて説明していいか困ってしまいますよね!
今回は、そんな「七夕物語」について、簡単にわかりやすく説明していきます。
目次
七夕物語のあらすじは?小学生にもわかりやすく!
七夕物語は織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)のお話です。
みなさんご存じだと思いますが、改めて思い返してみましょう。
むかしむかし天の川の近くに、一人の年頃の娘がおりました。
彼女の名は織姫。機織りがとても上手な働き者でした。
天の神様は、そんなまじめな織姫のために一人の若者に引き合わせました。
名を彦星といい、一生懸命に牛の世話をするそれはまじめな働き者でした。
織姫と彦星は一目会った日からお互いに好きになり、結婚することになりました。
ところが結婚生活が楽しくて仕方がない二人は、ろくに仕事もせずに遊んでばかりいました。
天の神様が何度注意しても、聞く耳をもちません。
これに腹を立てた天の神様は、二人を天の川をはさんで離ればなれにして、会えないようにしてしまいました。
それからというもの、二人は泣いてばかりで家に閉じこもり、仕事をしようとしませんでした。
天の神様はさすがにかわいそうに思い、「以前のようにまじめに働くのであれば、一年に一回、会うことを許そう」と言いました。
その言葉どおり、二人はまじめに働くようになり、一年に一回、会うことを許されました。
それが7月7日です。
こうして、7月7日になると二人は天の川を渡り、会いに行くことができました。
と、このようなお話です。
会えるようになってよかったですが、一年に一回しか会えないなんてちょっと可哀そうですね。
天の神様は相当怒っていたのでしょうね。
この続きの物語はありませんが、何年か後には、ずっといっしょに暮らすことを許されていると思いませんか?
七夕物語はいつから(起源)?
そんな二人のお話の中に、短冊は出てきません。
笹の葉も関係ありそうにありません。
いったいどういうことなのでしょうか。
この織姫と彦星のお話である七夕物語は、奈良時代に中国から伝わってきたものです。
同時に、きっこうでんが中国から伝わってきました。
これは、織姫のように機織りが上手になるようにとお願いするお祭りです。
その後、しちせき(七夕)と呼ばれるようになり、朝廷や貴族の行事として定着しました。
そして、たなばたつめと呼ぶ女性が織った布を神様へ捧げ、お祈りをすることをたなばたと言いました。
たなばたでは機織りが上達することを願い、糸が使われていました。
糸は高価なため、代わりに紙を使うようになり、それが短冊になったと言われています。
それを笹の葉に飾り、願い事をしていたそうです。
このように、いくつもの行事が合わさって、江戸時代から現在の七夕の風習となっていきました。
七夕物語は国によって違う?
七夕物語は、世界中で天の川にまつわる話として存在しています。
中国では、カササギという鳥が二人のために天の川に橋を架けてくれるという言い伝えがあります。
韓国では、恋人の日として親しまれているそうです。
フィンランドでは恋人同士ではなく、仲の良い老夫婦が亡くなった後も再開を誓う物語として伝わっています。
このほかにも、古代神話の残るギリシャや日本からの移民の多いブラジルやアメリカでも存在しています。
七夕物語から学べること(教訓)は?
七夕物語は単純なお話ですが、実は悲しいお話だと思います。
だって、1年に1回しか会えないのですから。そういったところに、この物語の教訓が隠されているのではないでしょうか。
- 何事も一生懸命やればいいことがある。
- 遊んでばかりいると罰が当たる。
この一言につきるのではないでしょうか。
七夕物語のあらすじは?小学生でもわかるぐらい簡単に説明!のまとめ
まとめ
・七夕物語のあらすじを小学生でもわかりやすく説明!
・七夕物語の起源は、奈良時代に中国から伝わってきた!
・七夕は国によって違う!
いかがでしたか、七夕物語は。
この物語は織姫と彦星の恋人通しのお話ですが、一生懸命やればいいことがある、こんな教訓が得られるお話なんですね。
きれいな七夕飾りや願い事もいいですが、7月7日には二人のことも思い浮かべてみてください。
きっと、素敵な明日につながると思いますよ。
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